私には俗に政治家に必要だと言われている3バン、支持組織(地盤)、知名度(看板)、資金(カバン)、何一つありません。
もちろん、政治一家の出身ではありません。代議士の秘書経験もありません。
ですが、茂原愛(じもとあい)と行動力には自信があります。
商工会議所青年部員として地域経済発展の為に活動していく中で、我々現役世代(現役で働き、子育てをし、両親は高齢者)の生の声を市政で発信したいと強く思いました。
今こそ我々現役世代が茂原の為、子ども達の為、高齢者の為、そして我々の生活の為に行動を起こし、汗をかかなくてはいけないと思い政治活動をしています。
■氏名:田畑 毅(たばた たけし)
■生年月日:昭和43年10月18日
■家族:妻、長女、次女、長男
■学歴:茂原南中学校、帝京高校(サッカー部)、帝京大学
クレアモント・ピッツア・カレッジ卒業(米・カリフォルニア州)
■職業:有限会社信栄工業(製造業)
■住所:茂原市東茂原10
■TEL /FAX:0475-25-7123
■家族紹介
私の尊敬する両親と大切な家族を紹介させて頂きます。
妻の今日子、長女ありさ、次女なつみ、長男の桜空(そら)です。
家族全員、スポーツが大好きな健康家族です。長女は中学でテニス部、次女も地元のソフトボールクラブに入り毎日元気にすごしてます。長男はまだ「働く乗り物」に夢中なんですけど(笑)
■サッカーとの出会い
右の写真は、日本商工会議所青年部主幹の全国サッカー大会に出場した千葉県連茂原メンバーの写真です。
私は小学校6年生の時にサッカーと出会い、中学生の時は千葉県選抜チームの選手に選ばれるようになり、全国からプロを目指すような選手が集まる帝京高校に進学しました。
高校時代は運動能力に長けた多くの部員を見て視野が広がったような気がします。また、初めてレギュラーから外れるという経験もしました。コツコツ練習を積み重ね努力をしてても誘惑に負けて部を去る仲間も見てきました。
「やるからには絶対に勝つ!」「自分で信じてチャレンジしたことは途中で諦めない!」との想いでしたが、毎日が仲間との勝負みたいな生活は高校生にとってはキツイ3年間を過したように思えます。
しかし、チャレンジさせて頂いた両親にも感謝してますが、サッカーと出会い多くの経験をすることができて大人になれたような気がしてます。
この貴重な経験を活かし、行動を起こして行きたく思ってます。
・茂原商工会議所青年部 会長(平成18年、19年)
・千葉県商工会議所青年部連合会 会長(平成23年)
・関東商工会議所青年部連合会 副会長(平成23年)
・日本商工会議所青年部 理事(平成23年)
■茂原商工会議所青年部メンバーと被災地に物資を運ぶ
東日本大震災の直後、日本商工会議所青年部を通して福島の青年部からの状況報告がありました。
茂原商工会議所青年部の仲間がひとつになり、また千葉石油株式会社様からの協力も得て、2011年4月に軽油3,000リットルとお米1トンを手に福島県南相馬市の青年部が待つ地に向かいました。
福島の仲間達から「ここに街があったんだよ」と聞かされても、信じがたい光景を目の当たりにして「無力さ」を強く感じてしまいました。
その後も福島の青年部との交流を図っていますが、多くの支援の継続が必要な状況です。
■地元(茂原)のゴミゼロ運動に参加
青年部の仲間に声を掛け合い、地元(茂原)のゴミゼロ運動に参加しています。
積極的に声を掛ける仲間もいれば、声を掛けられて参加する仲間もいますが、「やるからには頑張らないと!」って話で青年部の赤Tユニフォームを誇りに汗を流してます!
■茂原(じもと)密着の活動
本納商工会と茂原商工会議所が合併後から、毎年恒例である本納地区「伝統」の納涼祭への協力をしております。
右の写真は、茂原で少し知名度が高まってきた覆面レスラー「茂原七夕7(セブン)」・・・との記念写真です。この覆面のデザインを青年部の仲間と作らせていただきました!
■日本商工会議所青年部の全国行事にも積極的に参加
千葉県連のメンバー、そして地元(茂原)のメンバーと一緒に日本商工会議所青年部の全国行事にも参加してます。
日本各地の青年部メンバーと交流を深め色んな話を聞かせて頂き、地元(茂原)のメンバーと「茂原の未来のために」語り明かしました。